6月の下旬に新聞に載っていた文芸時評。
最近の小説の雑誌(群像とか)のレビューなどが載ってました。
国民国家に依存する自我をテーマとしている小説などをいくつか取り上げていました。
なぜ欧米は国民国家の枠を壊そうと躍起なのか?
コロナが流行する前まではうまく枠を破壊できていました。あと一歩で、ダメになりました。
(コロナが収束すれば、この流れはまたもとに戻るかも)
欧米哲学の歴史において、自我は近代、神を超えた存在にまでその解釈が変更されましたが、その同時期に誕生した国民国家論がいまだに問題となっています。
神を超え、正真正銘の自由を得た自我がその国民国家に依存してしまっているのです。
(他に自我を束縛するのは法もあるけど・・・)
欧米的には問題ですよね。どっちも欧米でできた理論なのに。
それが最近の文学(小説の問題)となっているそう。
そのほかにも小説界隈は社会的弱者、LGBT、ハラスメント全般、女性問題などいろいろ、テーマとしている。顕著なのはこういう問題問題を扱えば賞を取れそうな点。
こういうことを扱わないと作品にならないなんて、文学って言えるのか、私は疑問視しているけど・・・
一方、俳句はこの社会問題を日々、扱っていますでしょうか?
特に伝統系は難しい。
一句に季語を入れたら、他に入れられるものなんて少ないし、主語は自分だし。自分は金持ちで異性愛者なら貧乏人でマイノリティーのふりして句を作ることになる・・・
昭和の戦後すぐに桑原武夫さんに第2芸術って言われたことは今もあてはまるのです。
でもあっちが正しいとは限りませんけど・・・