桑原武夫の第二芸術論をまた考えた~ほかの人の考えも参考に唐木順三「自殺について」~

2017年6月1日木曜日

第二芸術論

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桑原武夫の第二芸術論を考えるときに視野が狭い議論になりがちです。だからもっと広い視野で考えたい。たとえば俳句側から批判しようとしたら全否定になるのは当たり前。また反論するにしても第二芸術論のみに異を唱えることに疑問も感じます。ということで当時の論調や流れも知っておきたいです。知る方法として同時代のほかの人の意見を探索してみるとわかりやすいかもしれません。一方、どんな考え方をしてもこの論に対して二者択一で正しい、正しくないの結論しか出ないおそれもあります。広い視野に立って考察してゆきたいです。





【同時代人の考え】



他の人の意見として唐木順三さんの文章を取り上げたいです。直接的に俳句をテーマとしていませんが第二芸術論と似た点も多いです。その取り上げる文章とは「自殺について」です。昭和25(1950)年7月に刊行。第二芸術論(昭和21(1946)年11月)のこともきっと読んでいると思われます。





【「自殺について」とは?】



明治以降の人の表現に関する葛藤について述べられています。






「日本における自殺の特殊性、自殺にまで導いた原因の特殊性」

とはいったい何なのか?(P.169より引用)





思考には言葉が必要。伝統的な日本語は感情的で叙情的。抽象、概念的な思考に対しては妥協し、折衷的になる。そこにジレンマが生じる。理性と本能、意志と感情、思想などの(言葉の)概念の対立の問題は、社会的にも解決されず、曖昧化し苦しみとなる。(P.170より要約)ということで自殺につながるとのことです。





【俳句や短歌】



その中で俳句や短歌についても言及されています。例えば一句詠むことが責任逃れに見えたり(戦争)、肝心なときに思っていることが言えないときなど相手にあわせるために(世代間ギャップ&戦争)短詩型で表現せざるを得ない(つまり相手に話が通じない苦悩)






「第一芸術から第二芸術になっても歌俳諧が亡びないということ、亡びないところで道具として使われているということ、それを日本人が好んでいるということ」(P.188)




「・・・さらばといって、それにかわるところの思想訓練のために必須とされる、対等な会話言語もいまだ工夫されていないのが現状である。」







(P.170 ※具体的な事例の紹介に入る前のまえがき部分より引用)





すべての引用は京都哲学撰書第12巻 燈影舎「現代史への試み」唐木順三 より





短詩に直接的に言及はしてないけど、この文章を読む価値はあります。今はツイッターなどもあって70数年前とは違います。言いたいことは文章にしなくても思考レベルで活字にできます。 でもそのつぶやきがわかってもらいたい相手に通じるかは別の問題になる。わかってもらわなくてもいいと割り切れたらいいけど、絶対に理解してもらいたい、伝えたいときはどうすればいいんだろうな。





【追記】



関係ないけど桑原武夫氏は今で言うころのイケメンっぽい印象でした、私には。また短歌についての文章の方が面白くて読んでいて笑えました。






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