芭蕉の句は誰にでもわかりやすく学校で習った句をずっと覚えている人も多いと思います。
そんな理由のひとつに調べがあるのでしょうか?
俳句の総合雑誌「俳句界」2015年8月号に芥川龍之介と夏目漱石の俳句の特集が載っていました。
芥川龍之介による芭蕉を論じている本もあるそうです。(岩波文庫「芭蕉雑記」)その一部分が引用、掲載されていました。芥川龍之介は松尾芭蕉の俳句の調べに言及していました。直感的に感じられる調べを独自に理解しているらしかったです。
芥川龍之介の作った俳句も一緒に載っていて、そういう視点で鑑賞すると
実作でも音を意識しているのかなと思いました。(あくまで推測の域を出ません)
一方、九鬼周造(哲学者で歌人)も「文芸論」(1941年)の「押韻論」で松尾芭蕉について似たようなことを語っています。こっちは少々理論的です。
九鬼の分析によると日本では文の構造的に頭韻が多いらしいです。
なぜか芭蕉の句を日本の韻の例としてよく取り上げています。
脚韻の例でも・・・
例えば
「振り売りの雁あはれなりえびす講」
「きくの花咲くや石屋の石の間(あひ)」
なんだかよく語呂が効いてます。
個人的にはこんな風に芭蕉を取り上げるのは珍しいと思っていました。しかし芥川のことを知るとなるほどと思いました。あくまで私見ですが俳句で音を意図してそろえるのは作為すぎてよい評価につながらないのではと考えていました。せいぜいリフレインくらいは許容範囲で。
しかし最近、NHK、Eテレで放送されていた「俳句さく咲く!」(7/26放送)を見ていてお笑い芸人の人が上五と中七で同じ音(頭韻)をそろえていて先生にいいねとほめられていました。例えばこんな感じ、「白」「城」という類のものです。最近では評価されるのかなと思いました。
芭蕉の句に調べがあるのかもしれません。ないのかもしれません。それが意図されたものかがわかりにくいからです。無意識でそうなったということも考えられます。芥川によると芭蕉は調べは二の次にするようにと言っているそうです。
2015/07/29 記
