ある雑誌で「俳句は第二芸術」だと意見を述べたことは、
70年経った今でもいろいろと考えさせられる問題を残しています。
俳句界という雑誌で今年、ずっと特集を続けています。
その桑原の述べた文章に対して
一つずつ反論したりするのは何か違う気もしました。
根本的な解決には至らないだろうと思いました。
何の答えも導き出されないかもしれません。
その理由は以下の2点です。
第一に桑原武夫の論はまったくの個人の意見ではないと思いました。
明治時代以降の文学に携わる人間がごく普通に考えているおそらく一般論かもしれません。
※文学とは小説とか俳句以外。
第二に広い視野で桑原問題を捉えないといけません。
例えばこの論が出た時期に旧かなが廃止され漢字も制限されました。
国によってです。
��でも俳句をしている人にとってはそのようなことは関係ないかもしれません。
今でも旧かなを使う人は使っていますし)
このことのほうが俳句にとってはまさに転換期だったのではと思います。
第一、第二にも共通することですが明治になっていろいろ変わったのです。
江戸時代までは誰も疑問に思わなかったことも明治以後はその評価も違ってきます。
まさに文明開化だったわけです。
こんな風に考えるのはカタカナ語のルーツをたどって
明治にまでさかのぼったのが原因です。
俳句でなぜカタカナ語がいけないのか?さらに漢字も?
それを探る今年の夏でした。
いろいろ調べなかったら桑原の一言一言に文句を言うだけに終わっていたかもしれません。
難しすぎて説明できませんが雰囲気だけは感じ取ることができました。
例えば俳句に誰かが文句を言ったことよりも漢字はもっとひどく文句を言われたりもしています。
要するに桑原武夫だけを相手に反論しても意味がないことだけがこの夏、わかりました。
逆に共感していたのですが難しいです。
